ワダパゴスの文化
ワダパゴスの文化とそのオキテ
その1 合言葉は「あんじゃあねえ」
遠山の衆は何かと言うと「あんじゃあねえ」と言う。案ずることではない=大丈夫だ、という意味だ。
現代は「不安の時代」だと言われるが、現代の私たちが持つべき大切な感覚が「大丈夫感覚」だ。
いろいろな問題を背負う現代、子どものこと、家庭のこと、経済のこと、健康のこと、地域のこと、いろんな不安が私たちの心を押しつぶそうとする場面は多い。
だが、遠山の衆は、基本「あんじゃあねえ」のだ。
なにが「大丈夫」なのかわからないが、 根拠のない自信がある。大丈夫、なのだ。.
遠山人のDNAを受け継ぎ、時の試練に遭遇しても、力を尽くし、だいじょうぶだ、うまくいくと力強く歩み続け、「あんじゃあねえ、ぞ」と心に秘めて未来をつくっていかねばならないのだ。
その2 くれてくれてくれまくれ「くれ好き」
-最先端のシェアタウン「結い」
遠山郷の習慣に「結い」と言うのがある。
田植え・稲刈りとかの農作業のときに、相互間で、双方互いに力を出し合う慣わしのことを言う。
英語で言う「ギブ&テイク」とは少し違うニュアンスだが、遠山郷では「お互いさま」という共同体意識が、強く存在する。
そして遠山郷は、無類の「くれ好き」が多数存在する。つまりGive!give!give!give!なのだ。
「”give and take”ではない。”give and give”」そんな精神性がこの遠山郷を支えている。
その3-お天道様が見てござる
一木一草に神宿る800年続く霜月祭りの里
800年続く霜月祭り(国の重要無形民俗文化財)。
大小之神祇(天の神と地の神)三千一百三十二座(延喜式905年)
官社のうち官幣社は大社 304 座・小社 433 座、国弊社は大社 188 座・小社 2207 社計 3132 座(大社から)天照皇大神、八幡大神、春日大神~(全国一ノ宮)(村中の神)水神とか畑神とか、とにかく全部の神様をお招きして「湯を浴びて穢れを祓い清らかな魂を得て生まれ変わる」お祭りをする。
とてつもなく神様の多い土地。ひとつの木、ひとつの草に神様がいたって不思議じゃない。
「お天道様がみている」とか「ごはん粒に神様がいる」といって、目に見えない存在のことを、昔の衆はよく言ったが、遠山郷では、神様が多いのでホントにみています。
遠山郷に住まう人々は、少なからずそのことを誇りに思い、天に恥じないよう心がけて暮らさねばならない。
その4 ボロは着てても こころの錦
どんな花よりきれいだぜー芸能の里のDNA
今も日本を代表する伝統芸能として親しまれている歌舞伎。
かつて遠山でも歌舞伎が演じられていた。
貧しい辺境の地で「農村歌舞伎」として市井の人びとによって演じられていたのだ。
毎日コツコツ汗水たらしてはたらく人たちが一体になって楽しむ、ハレの行事としてお祭りのときなどに演じられていたのだ。
イベント好き、芸能好き、お祭り好き。にぎやかで楽しいことが好き。
どんな状況下にあっても、楽しもう、楽しませたい、そういうDNAを引き継がねばならない。
その5 強くなければ生きていけないー「時には力技」で綱を引け
強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がないのだ。
時には力技を使わなければならないのだ。
「峠の国盗り綱引き合戦」は、県境で接する二つのまち、遠州軍(静岡県浜松市天竜区水窪町)、と信州軍(長野県飯田市南信濃)が、境界線を賭けて綱引き合戦を展開する催し。
「領土」をかけた大人の遊びに真剣に取り組むことで、地域住民と行政も巻き込んで、ライバルでもあり仲間でもある二つのまちの交流が力強く続いている。
時には力技で、そして強くやさしく。遠山郷で生き抜くには大切な条件なのだ。
その6 ぐざっていると日が暮れる
ー見切り発車・その場しのぎ・帳尻あわせ
山は総じて日が暮れるのが早いが、和田は、長野県で最も日の入り時間が早いと言われている。
いつまでも、ぼやいたり、ぐざっていると、すぐに日が暮れて夜になってしまうのである。
そのために、遠山の衆は、いつまでもいつまでもぐずぐず考えず、「見切り発車・その場しのぎ・帳尻合わせ」が得意になってしまうのだ。
もうやってみてから考える動く。つまりは即断即決・臨機応変・やりくり上手ということである。
夕焼けとは太陽が沈みゆく光景。そもそも太陽は「創造のはじまり」を表していると言われている。
その太陽が沈みゆく光景「夕焼け」が意味しているものそれは「物事の終わり」。
終わればはじまる。陽はまた昇るのである。山の民は、明日を信じて実践あるのみである。
その7 ちゃんとごはんを食え。―遠山家の家紋はご飯茶碗と箸
和田宿の敷地内にある「徳川家康に謁見する遠山土佐守景直」の銅像。
土佐守景直が家康に謁見した際、家康から食事を賜った。
そのとき土佐守は左手で茶碗を隠しながら食事をし、食べ終わってから茶碗の上に箸を渡して置いた。
家康がその作法を不審に思って訳を尋ねると、土佐守は「遠山は貧しい山国で米がとれないために、身分の上下を問わず麦や粟を常食としている。
よって尊い方の前で食事をするときは、恥じて隠しながら食べるのが習慣になっている」 と答えた。
翌日、家康から「昨日、その方が申し述べたこと如何にも気の毒である。
よってこれから上穂領(上伊那)千石を増加し、その方の家紋を、その茶碗のかたちに型どり、このようにいたすがよい」とお言葉を賜り、
二本の箸を茶碗のへりに渡して置いたこの形が遠山家の家紋となった。
家紋の種類は約2万5千種類あると言われるが、ご飯茶碗が家紋だなんてオウチはそうそうない。
人間の体は食べたものでできている。
お母さんから「ちゃんとご飯食べてる?」と聞かれませんか?
人間どんなときも食べることが一番大事。
人生に負けないように、もしつらいときや苦しいときがあっても、いつもと変わらず、みんなそろって、ご飯を食べること。
その家紋成立の発端は、貧しい地域ゆえのものであったかもしれないが、「食べる」という人生で最も大切なことをモチーフにした「ご飯茶碗と箸」の遠山家の家紋を
心の中に大切に思いながら「ちゃんとごはんを食べる」ことを心がけねばならない。
その8 大事なことは手で書け
ーデジタルとアナログを融合
最近手書きの文字を見ることはありますか?
何もかもパソコンや携帯メールでやり取りをするので手書きの文字から遠ざかっている。
一家に一台のパソコン、1人複数台の携帯電話を持つ時代。
パソコン、サーフェス、スマホが主流になり、ペンや鉛筆の出る幕がなくなりかけている今。
「手書き」の良さに気がつく人は多い。
ところが、だ。遠山郷では、世の中の動きに惑わされることなく、圧倒的に「手書きチラシ」が、遠山界隈を席巻凌駕している。ペンや鉛筆が今もって大活躍なのだ。
「手書き」はつまり自分だけのオリジナルフォント。
「自分のフォント」で書くということは個性とも言える。
限られたフォントや機能の中で文字を打つパソコンに比べ、よりクリエイティブなのだ。
秘境だからパソコンが使えないとか、ネットがつながらないとか、そんなことは決してないが、
遠山郷では、手書きの良さとデジタルの良さを両立するのがトレンドだ。